栗林 順子

TOPヘルスラボ 華
代表 インストラクター
実績と経歴
25年に渡りエアロビクス・ヨガを多方面で指導。遠方からやリピートの方が多数。
”親切丁寧に一人一人に届く”をモットーの楽しく効果的な指導をしております。
スポーツクラブ・サークル・イベント等
・エアロビクス(30年)
・ヨガ(10年)
医療機関
・マタニティビクス(21年)約4,000名
・アフタービクス(20年)約2,500名
・ベビービクス(20年)約2,500名
・ママ&キッズビクス(8年)約400組
資格
・日本能力開発推進協会 認定マインドフルネス スペシャリスト
・日本マタニティビクス協会 認定インストラクター(マタニティ/ベビー/アフター/メノポーズケア)
・ヨガインストラクター
・リフレクソロジスト
・野菜ソムリエ
自己紹介
茨城県の水戸市で、三人姉妹の長女として生まれました。牡牛座B型
女の子と遊ぶより、男の子と野原や児童公園を駆け巡って、いつもすり傷だらけだった私は、子どもの頃から体を動かすことが大好きでした。
音楽も大好きだったので、中学では吹奏楽部に所属しましたが、高校では吹奏楽部がなかったためテニス部に入りました。
卒業式のあと、少し厳しく指導したから、もしかしたら嫌われてるかもと思っていた後輩たちから、誰よりもたくさんの感謝の手紙をもらって涙が溢れました。
社会人となって会社に就職して、OLとしての日々を過ごしていましたが、なにか手に職をつけて、独立して仕事をしたいという思いが日に日に強くなっていきました。
エアロビクスとの出会い
体を動かすことと音楽が大好きだったことから、OL生活で少し余裕がでてきたこともあって、習い始めたのがモダンダンス。
そのモダンダンスを習い始めた初日のことです。
私が習おうと思っていた先生が急用でお休みされ、その代理で来た方がエアロビクスの先生だったんです。
これが、今日まで30年間も続けてきたエアロビクスとの衝撃的な出会いでした。
エアロビクスをするのは初めてでしたが、その躍動感とリズムに感動し、そのままエアロビクスを習うことにしました。
今から思えば、これは偶然ではなく必然だった、いえ運命の出会いだったとさえ思います。
エアロビクスの練習は体力的にもハードなものでしたが、むしろそれが楽しくますますのめり込んでいき、エアロビクスを一生の仕事にできたら、どんなに素晴らしいことかと思うようになりました。
エアロビクス認定インストラクター
そんな思いがつのり、いつしかエアロビクスの認定インストラクターをめざしていました。
しかし、認定インストラクターになるためには、認定資格の取れる東京のスポーツクラブに通わないといけません。 そのためには、会社を辞めなくてはいけません。
それでも私は、OLをして貯めたわずかな資金を元に、ためらわず東京に行って資格を取ることにしました。
幸いなことに、ちょうど空きがあったスポーツクラブの社員寮に特別に入ることができ、またスポーツクラブでアルバイトすることもできて、なんとかやりくりできました。
東京での私を待っていたのは、養成所での厳しくてハードな毎日の繰り返し。
午前中は、認定インストラクターになるためのカリキュラム、午後はエアロビクスを約3時間、その後は体力をつけるためにトレーニングジムに通いました。
カリキュラムのない休みの日も、繁華街に繰り出す仲間たちを横目に、生活費を捻出するためのアルバイトに明け暮れました。
そんな私の東京での生活は、住んでるアパートとスポーツクラブとの往復だけで、遊ぶ余裕などありませんでした。
そうやって3ヶ月のカリキュラムを終えて、なんとかエアロビクスの認定インストラクターになることができました。
しかし、認定インストラクターになれたからといっても、もちろんすぐにフリーの仕事があるわけではありません。
フリーのインストラクターになるために取った認定資格でしたが、わずかの預金も使い果たしたので、とりあえずスポーツ施設に勤めることにしました。
スポーツ施設の社員として、エアロビクスだけでなくトレーナーやプールの監視員の仕事もしながら、結局2年間勤めました。
フリーランスへの道
そんなある日のことです。
そのスポーツ施設で指導していた会員さんから、
「私のスポーツサークルで、エアロビクスを教えてもらえませんか?」
とお誘いいただきました。
その方は、自らサークルを主催したりされている方で、これが私の社員としてではなく、フリーとしてのお仕事のスタートとなりました。
そこからいろんな方々がお仕事をご紹介くださったおかげで、フリーのインストラクターとして今日までエアロビクスを続けてくることができました。
また、エアロビクスを応用した妊婦さんのためのマタニティビクス、そして産後のアフタービクスと産まれた赤ちゃんのためのベビービクスにも挑戦しました。
当時は、妊婦さんにエアロビクスなんてとんでもないという風潮が強く、水戸市内の産科のあるすべての病院にあたりましたが、全部断られました。
ようやく隣の市の病院に理解を得られて、マタニティビクス、アフタービクス、ベビービクスを教えることができました。
これらの活動をとおして、多くの方々とのご縁をいただき、今日までの25年間、エアロビクスを続けてくることができました。
最近感じていたこと
将来への不安やストレスにさらされる方が増えています。いつも心が、どこかさまよっている状態。
グローバル化による競争激化で、常に生産性アップを求められています。そのため、ひとつの仕事にじっくり時間をかけて取り組むことが許されなくなりました。
また、複雑案件を効率的にこなす、マルチタスク型であることが望まれています。
情報過多社会にスマートフォンの存在が拍車をかけています。
そんな時代背景の中、ブラック企業や過労死、自殺などの暗い話題がニュースで聴くことが多くなっています。
小さな力でも、何とか私にもできることはないだろうか?
漠然とですが、そんな思いが日々募っていました。
マインドフルネスで社会に貢献を!
きっかけは調べ物の最中偶然目に留まった”マインドフルネス”
老若男女何時でも何処でも道具や着替えの必要もなくできるところ、様々な効果が得られるところに深く共感しました。
そして、今まで私が培ってきたヨガやストレッチでまず身体をほぐしてから、呼吸で意識を整えるマインドフルネスを取り入れれば、相乗的に効果が増大するんぽではないか?
特に座りっぱなしの姿勢が多いデスクワーカーの方々の心と身体に喜んでもらえるのではないか?
最初は一人の笑顔や思いやりが多くの方やがて世界中に広まれば何かしら救われる方もいるのではないか?
そう考え始めると、少しでも早く微力でも広めたいと思うようになりました。
これからも笑顔と思いやりの連鎖、沢山の方に伝え広めていければと思います。